人形の着物屋さん 雅楽

ホームページから始めてヤフーブログ15年 こちらに移りました。

ブックトーク Ⅷ 日本の行事と食べ物 5・8月

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「山のはなまつり」
たかぎ あきこ・作
つちだ よしはる・絵
リーブル

お釈迦様の誕生を祝う埼玉県秩父郡吉田町塚越の、「花まつり」の行事です。
花いっぱいの中の、花で囲まれた手作りの花見堂の行列の絵は、心を和ませてくれます。

一般には、新暦の4月8日ですが、 この地方では旧暦に行う。
最近では5月5日の子供の日の前に行い、5月になると子供たちは、
花集めや、各戸を回って準備をします。

娘たちは、仏教系の幼稚園だったので、ぞうに乗った花の御堂を引いて回っていましたね。
甘茶をかけて、お釈迦様の誕生のお祝いです。ちなみに、」広島は安芸門徒といわれるほどの 親鸞様なので、講堂には 親鸞様の子供のころの絵姿(ののさま)}に月1にはお花をささげていました。「のんのん ののさま~」と歌ってました。
そのかわり、クリスマスの行事はなしでした。
鳥追いにしろ、子供のお祭りは、あくまで子供が主体!!大人は手助け程度。
子供たちだけで、知恵を出し合って協力していく、「縦割り教育」は、自然に養われていたものです。なんでも規制、大人社会だって、政府や行政の規制の中で生きていると、
いくら「学校教育」「道徳」と叫んでも伝わりませんよね。
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行事の由来
「元気いおよげ こいのぼり」
今関 信子。作
福田 岩緒・絵
教育画劇



こいのぼりの由来のお話です。
「すくすく育つようにタケノコごはん」
柏の葉には。邪を払うから かしわもち」とありました。
ちまき」「柏餅」
調べると「ちまき」は古くからあり、京都からひろがり関西。
江戸時代にできた「柏餅」は関東 とありました。
でも、私は結婚するまでちまきは食べたことはなかったけどな~~~
そして、東北の人は、「笹を△に折って、うるち米・もち米を入れていぐさで縛って蒸す。
おやつ感覚で作るそうです。

お店で売っている高価な縦に縛りあげたちまきとはずいぶん違うかな?
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関東では 乾燥した柏の葉を使いますが、広島~山口では「さるとりいばら」(山帰来)の葉を使います。俗に「かたろのは」と呼ばれて、どこの山野に自生しているので、確か生の葉を使っていたような。我が家では、年末の餅つきには力を入れましたが、男の子はいなかったし、作ってもらったことはなかった気がします。
でも、もち米を粉にしてもらいに精米所に行ったことは記憶にあるので、何かの団子 うーんお月見団子でもつくったのかな?それとも、末っ子の授乳には餅粉の団子汁が効くというので、姉のお供で使いにいったのかな?


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「和菓子の絵本」
平野恵理子 作
あすなろ書房


ちまきにかかわるものがほかにないかな?探していたら、
こんなおいしそうな絵本がありました。

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「じぞうぼん」
1982年 かがくのともシリーズ。
中川 正文 ぶん  伊藤 秀男絵
福音館書店

京都・大阪特有の8月22日の地蔵盆
こどもたちがおじぞう様を洗って、お供えされたお菓子をいただく、子どものお祭りです。

この本が発刊されたとき、初めて「地蔵盆」を知りました。
かがくのとも こどものともは 段ボールに数箱あったのですが、
姪一家が海外赴任するというので、ちょうど幼稚園年長組ぐらいだったので、
ほかの絵本と一緒に 合計段ボール5~6箱の絵本を持たせました。
我が家の娘はまだ結婚していなかったもので~
改めて、検索してみたら、これはハードカバーになっていないせいか、意外と高価な値段で取引されていて、唖然としました!が、ぽちりました。
毎月1冊配本される中から、100選とかで、上装されるのですが、人気がなかったのかな?
大人も子供も、生き生きとした8月22日の様子が、好きだったのですが。



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近江子ども歳時記
「僕たちの地蔵盆
近藤 千代/文 中川佳代子/画
サンライズ出版

ほんのりした 子供たちの姿が描かれています。

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検索していたら、こんなヤフー画像が!!
いやまったく、 関西人!なんでも商売!!
お供え物も、最近はこうした画一的な お菓子の組み合わせになっているようです。
それほど、一大のお祭りでもあります!!

私が関東に転勤してくる前、広島の宮島のあたりに住んでいたのですが。
そこでは、地蔵さまは結婚式の夜、青年団が地域のお地蔵様を集めて、廊下に並べておくのだそうです。「どっしりと居つくように」と。
翌朝は、夫婦できれいに洗って、用意していた新しい涎掛けを付け替えて、リヤカーに乗せて戻してお参りをしていく、「初めての共同作業」になっていました。
「用意しとった涎掛けが、足らんでねえ、急いで作ったんよ」と、聞き取り調査をしていた時、当時を思い出して、はにかんだ口調っだった、お嫁さんの(昔の)照れ笑いが今でも忘れられません。もちろん、結婚式場→披露宴→新婚旅行と変わった今では、亡くなった風習だそうですが。