人形の着物屋さん 雅楽

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神奈川東海道ウォーク 平塚 Ⅱ

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平塚は 旧海軍被服廠などがあったので、
空爆を受け、旧跡は残っていない。
1号線、七夕まつりの街道筋に、
記念碑が丁寧に建てられている。
宿場の入り口の江戸見付。
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本陣跡。
平塚は本陣1、脇本陣1の小さな宿場。
隣の大磯にも近いのだか、
将軍家のお狩場の休憩屋敷
「中原御殿」があり、
中原海道、八王子道の要所でもあった。
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問屋場



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国道から入った公園にある「お菊塚」
「番町皿屋敷」のモデルといわれている。
この手の「お手打ち物」の話は、」全国にあるが、
平塚のお菊さんは、が出自がわかっていて、
実家の墓とともにこの地に埋葬されていたという。
さすが、天領地。
役人と旗本、御家人とのつながりが感じられる。



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「平塚」の名前の由来の碑。
日蓮宗のお寺 要法寺の横にある。
由来は,諸処あるが、他愛ない。
近くに墓所が並び、その中に
歌舞伎「加賀美山旧錦絵」のモデル
仇討した「松田たつ」の墓もあります。
岩藤が、草履でたたく名場面、
吉右衛門さんがやって、意地悪なのに憎めない!!
アッツ、ヤフーニュースで「坂東三津五郎」さん
やはりすい臓がんで亡くなったって!!
だめかなとは思っていたのだけど、お、おしい!!
きれいな踊り姿も見れないなあ!!


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浮世絵「平塚 縄手筋」
「曲がりくねった「花水川」
後が 「高麗山」
晴れると富士山が見える。



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浮世絵の手前にある
宿場の終わり「上方(京)見付」碑跡。



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「高来神社」
本来は、山頂にあった「高麗権現社」「高麗寺」
ここから、秩父の方へ移動した。
この高麗山は、家康に寺領百石を与えられ、
神社だけで、1村の処領地を形成できていた。
神社は当時のものを残している。
ここは空爆からはずれたらしい。
手ごろなウォークなのか、山ガールと行き合う。

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閑静な住宅に挟まれた道を進むと
大磯の一里塚跡。
間にもう一つあり、3つの一里塚
8キロ+α11キロを歩いたことになる。
曽我十郎恋人「虎御前」にまつわる
化粧坂」「化粧井戸」なども~
虎御前の泣いた雨なのか、大磯=雨なのだそう。
大磯駅にて解散 2:30