人生はそれぞれに双六模様
ごろりと一人酒
ぶらり旅も良し
三味線片手の鳥追い道中
茶など一服
路端の花に心寄せ
まあノンビリといこうか
~花を摘む手に刀が似あう 城の雀がそう ゆうた~
これ、うたえますかな?
ついで、こねこちゃんにも小さな袴作っちゃいました。
これ、うたえますかな?
ついで、こねこちゃんにも小さな袴作っちゃいました。
11月、突然小倉に住む長女の舅が入院、
末期癌、余命年内告知 の知らせが入りました。
末期癌、余命年内告知 の知らせが入りました。
孫の智君は両方のおじいちゃんが大好きです。
二人とも甘い甘いおじいちゃんで、
何でも言うことをきいてくれるのですから。
小倉のおじいちゃんには「碁」を教えて貰うのを楽しみにしていました。
二人とも甘い甘いおじいちゃんで、
何でも言うことをきいてくれるのですから。
小倉のおじいちゃんには「碁」を教えて貰うのを楽しみにしていました。
1ヵ月半の間、できるだけ会いに行っていました。
クリスマス前の休みにはまだ意識もしっかりしていて、
「またすぐ来るからね」と言って帰ったあとから、
今まで張り詰めていた力が萎える様に、体調が落ちていったそうです。
智君が駆けつけたときにはもう意識もなくなり、
12月28日 召天されました。72歳。
世界の果ての国まで出かけてのお仕事が続いた後も、
とってもお元気で働いて、新しいことにもチャレンジ旺盛。
余命年内 が信じられないくらいでした。
最後まで痛さを人に見せないで、頑張りとおされたそうで、
1ヵ月半、あっけないくらいの早さでした。
クリスマス前の休みにはまだ意識もしっかりしていて、
「またすぐ来るからね」と言って帰ったあとから、
今まで張り詰めていた力が萎える様に、体調が落ちていったそうです。
智君が駆けつけたときにはもう意識もなくなり、
12月28日 召天されました。72歳。
世界の果ての国まで出かけてのお仕事が続いた後も、
とってもお元気で働いて、新しいことにもチャレンジ旺盛。
余命年内 が信じられないくらいでした。
最後まで痛さを人に見せないで、頑張りとおされたそうで、
1ヵ月半、あっけないくらいの早さでした。
初孫の智君の昼寝顔を何時間も側で見ていたおじいちゃん。
智君が書いたお手紙は入院ベットの枕元に飾ってあったそうです。
4歳の智君は実際何処まで認識できているのか、
葬儀の間も元気で、お骨上げまでしっかりと勤めていました。
次に行った時にはやはり
「おじいちゃん来たよ!」といってしまうのでしょうね。
智君が書いたお手紙は入院ベットの枕元に飾ってあったそうです。
4歳の智君は実際何処まで認識できているのか、
葬儀の間も元気で、お骨上げまでしっかりと勤めていました。
次に行った時にはやはり
「おじいちゃん来たよ!」といってしまうのでしょうね。
30日、蜻蛉帰りで葬儀に参列してきました。
「智君が成人するまで、ガンバッテ元気でいましょうね」
おかあさまと、そう話して帰りました。
「智君が成人するまで、ガンバッテ元気でいましょうね」
おかあさまと、そう話して帰りました。