人形の着物屋さん 雅楽

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ヒューストンで 誕生日

8月9日 智君 7歳の誕生日を

ヒューストンで迎えました。

ホテルには、ディナーのレストランがなく、

ルームサービスもサンドイッチぐらい。

あちこち、ママとホテルなどのレストランも検索したのですが、

なにしろ、智君が ママとおしゃべり べったりで

なかなか、煮詰まった計画も立てられない状態。

NASAからの帰りだけで、もう、どこにも行きたくない風。

キッチンの電子レンジを利用して、

ピザや、から揚げ、焼売などを用意しました。

ケーキもホールがほしかったのですが、

ビジネス街で、デパ地下にもそれらしきがなくて、

ショートケーキで、形だけになりました。

ろうそくも、ホテルではタバコ禁止、煙が要注意なので、カット!


持ってきていた風呂敷をテーブルクロスにして、

二人がプール(これだけあれば智君はご機嫌)にしている間に、

準備しました。

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イメージ 2
7歳のろうそく、
7歳の形のバースデーカード
智君がくるまでに、ママが用意したのは、
やはりアメリカンティスト!!

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メキシコ料理店
2人分で、十分足りる量です。
智君、辛い辛いと連発しながら、
食べていましたが、
唇が 少し赤く腫れて、
こちらも いたい辛いと 
冷やしながらひーひー

イメージ 4
コンビニで買ったお菓子
手前が、ナイトサービスのクッキー

イメージ 5
朝食のフルーツは
アメリカの赤青リンゴとバナナ。
日本のように蜜いっぱいではなく、
味のない小さなりんご。
智君には、やはり不評でした。
アメリカだもの、
日本のように、手をかけてないよ!!



*******やはり、日本はぜいたくに食に手をかけているな。  
    それは日本の文化でもあるのだけれど、
    いま、東日本大震災で「食」の問題がいろいろ問題になり、
    一挙に「援助なしでは生活できない状態に追い込まれている」生産者の状況。
    
    あまりにも手を掛けた、食ブランド志向は、考え物なのでしょうか?

    地震直後、評論家、コメンテーターが、電力不足に際して
    「昔は、野菜だってなんだって旬、その時のものを食べていた~~~
     ぜいたくすぎるのを考えなおさなくては。昔の生活に戻る~~」
    なんて言ってました。

    私だって、いつも思いだしますよ。
    昭和40年ころ、高校の友達のおじい様がトマトが好きで、
    冬場にデパートで、高価なトマトを買っていたことを。

    いまや、食材には季節感はまったくなくなりましたよね。

    そのためには、ハウスでたくさんのエネルギーを必要としています。
    鮮度保存倉庫にも、たくさんのエネルギーが必要です。
    そして、全国に届ける流通網には、多大ななエネルギーを
    必要としています。

    しかし、すぐへなっとなる鮮度の悪い画一的な「食材」とはいえ、
    真冬にトマト、キュウリ、
    夏場にリンゴ
    クリスマスにいちごがない生活に戻れるでしょうか?

    20年前、初めて訪れたアメリカの家庭で食べた、
    小さな赤と青のリンゴから、全然変わっていないリンゴを食べながら、
    日本の高度成長、バブル期って
    いったいなんだったのだろう、
    やはり一億総中流社会を作りあげる ためだったのでしょうか?

    同じ20年前、道路には、ワゴンタイプなどの大型車がまかり通っていました。
    今回、ハイウェイが、なんとなく身近に感じたのは、ほとんどが中型車だったからでしょうか?
    しかも、見慣れたトヨタやホンダ車です。
    20年前は、後にTOYOTA,HONDAと大きく目立つように書かれたバンタイプの車でしたが、
    まさしく今は、日本の道路並みの車が走っているのですよね!!
    走り続けた、日本企業の歴史も、少しばかり感じた 渡米でした! 


    帰国すると、暑い!!
    エアコンいらずの生活だったのに、
    この数日、一日中エアコンつけている。
    各室冷房だと、廊下に出るとむっとするくらい効いているのに、
    部屋の中にいると、28度や27度では、長時間いると暑いくらい。
    全館冷房だと、26度では寒いくらいだった、渡米中の生活と、
    どこがちがうのだろう?