人形の着物屋さん 雅楽

ホームページから始めてヤフーブログ15年 こちらに移りました。

韓国旅行 Ⅳ  北村から、景福宮

今日は独り歩きてす

 

通勤ラッシュを避けて

9時頃から地下鉄利用、

チャージ式マネーカード

Tマネーも、コンビニで用意しました。

朝の散歩をかねてコンビニまて

サンドイッチを、買いにいきました、

明洞は地下鉄4号線(424)のみ。なので、

あまり迷いません。

ひとつ先の423で、3号線に乗り換え

3駅先の安国で下車、

 

難なくいけました、

駅を出ると、緩い坂

韓屋といわれる昔風の木造家屋が、立ち並ぶ一画てす、

お目当ては、

東林組み紐博物館

10時開店なので、うろうろします、

バス道を上ると松並木

 

観光バスが次々に止まり、わっと

国際色豊かに観光客が。吐き出されて行き、

狭い坂道の路地を歩いていきます。

ほとんどか個人の家なので、

門扉も窓もしまったままです、

北鎌倉の個人宅が、順次飲食店や、小物店となったように、変わっていくのてしよう。

目立つのは

流行りのレンタル衣裳です、

坂じゅうに、韓服が、溢れています、

最近は、花柄や、レースが。多いてすね。

英語て声をかけて

ちょっと見える土産物やで

ドール用の韓服見つけました

あくまでも、飾りようで、サイズは、かなり大きい、でも。ほしかった

赤龍服

王様が着る服です、

肩と前の龍の刺繍紋は、王と、世子(皇太子)の紺龍服だけてす

これだけは入手できなくて。

お店の人に皇后よう(王室女性には胸に、刺繍がある)チマチョゴリを、

当てさせてもらったのですが、

やはり着脱は無理なようでした。

南大門市場とか、民芸品専門のお店なら、あるのかもしれません。、

(ネットであるのは日本人の手作りなのかな?)

簡単なハングルと英語で通じます、

10時近くになったので、博物館を、探して。

地図が詳細でなく、わかりづらい、

若い人に聞いたら、地図アプリて検索してくれ、

英語で答えてくれました。

それでも、かなりくねくねした坂の小道を歩きました、

少しわかりにくい。

中庭の回りを小部屋が囲む

韓屋の作りてす、

お庭の広さで決まるのか、こじんまりした博物館?

展示物もあまりありません。

 

どとらかというと、組み紐のお教室が中心のように思えました、

事務の人も、無愛想でした。、

 

 

このエリアには、韓服の仕立ての看板を建てた、

個人宅が何件かありますが、

やや入りにくいです、

 

組み紐の店の表示が出ていたので、恐る恐るはいりました、

一部屋だけの小さなお店に

撮影禁止なほど、大小ののりげ、

そして、探していた指貫もありました13000ウォン

ヤフれている方ががほしかった昔の指貫

これも、もう、作っていないそうですが

ここでは。たま結びを、いくつか繋げて、

その場てオリジナルブレスレットとかネックレスを

作ることができます、

外人さん親子が入って作ると言ってました、

おみやげにジェニーサイズの、ノリゲのキーホルダー。どこでも1200~1500ウォン、

民俗村につてて行ったこがつけているのは、

ドールを始めたころ、アジアンノットで、作ったものてすから、

今さら、買う必要もなく‼️

 

観光客は、時間が決まっているのか、

北村の上の方までいくと

人影が、なくなります

 

上までいくと視界が開け

紅葉の中に景福宮の、屋根が見えます

 

そこから、降りていくと三清路になります、

色々なお店が並びます

ソウルは銀杏並木が多いてす 

向かい側に。当たらし家の間に、

古い古い韓屋が。

茶店らしいのではいりたかったけど、

そとではコーヒーのまないし、

お昼には早いし

やはり喫茶店に一人ては入りにくいです。

 

景福宮の標識が出たので、閑静な道を上がっていきました、

 

塀が見えてきましたが、

この辺りから観光バスがずっと並んでます、

白い花崗岩から赤い花崗岩になったり

ここが、32年前にきた、朝鮮総督府が博物館になっていたのを取り壊して

韓国風な博物館に再築したところです。

その名残?

 

五重塔が、現在の博物館

 

 

高校生らしき軍団が

レンタル衣裳で走り回っているので

声かけ

気持ちよくVサイン

そとに出たら、光化門辺りは人混みだらけ、

東門、駐車場から、入るように煽動されたので、

中側はてながっていたので。そちらを通ればよかったてす、

で、横から入った

本日は無料でした

光化門

勤政門

勤政門

 

回廊をくるりと回り

勤政殿

この一帯が執務会議場てす、

ひとが溢れてます

回廊を左に抜けると、

修政殿

ハングル語を、作った場所だった、

ここで買った赤龍服に着替えさせる。

飾りようなので。おたるところが、クルーガー国立公園でとめられていて、ふかふか、カチカチ。

まあ。だいたい、ブカブカなのだけどね、

サンドイッチと、いつも持ち歩く紅茶のポットで、おひる、

護衛武士の服を代用していたので、

髪を押さえるマンゴン(ヘアバンドするのを忘れてしまったわ)

冠もないし。まっ、いいか、で、続行

移動する前に、

チマチョゴリで撮影していた女性グループの、

一人に声かけ

珍しく、ちゃんとしたミセスの髪型に、

ウリヌン ミセス

日本人の丸髷みたいに、みせすの髪型てす、

快く、サングラスしていたのだけと、

にっこりと、

友達も盛り上がってくれました

 

屋根にあるのは

三蔵法師ご一行‥だって

数が、あわない?

先頭が

人間ぽくない。

 

中国影響 走獣

いわゆる神獣達で、数が多いほど縁起がよい。、

 

慶会楼

水面に浮かぶ宴会場

科挙の試験もここで

ドラマによく出ますね

いい撮影スポットなので、もぐり込むのも大変

ドラマで細い通路を行き交う

塀と日常生活空間殿が、ちおさなくぐりもんで、連なる

 

広場を抜けると

ひん殿

沢山のひん宮のお住まい

こうして、手は中に入れてかくして歩きます

 

後の山が、気になりますね。、

 

 

 

執務から離れた区域。

 

奥にある東屋が、

香遠亭

橋の続きに

王様と皇后の住居が、あるので

東屋は、散策、デート場所として、

ドラマにもでますね、

 

 

さらに奥に、

集玉斎と八隅亭

中に入れます

 

ここまで来ると、人も少なめです

書斎

外国時節の謁見場所

八隅亭では、テーブルと椅子がおかれ

しばしのんびりできます

北の外壁が、すくそこに

こうしていると

写真とってもいいですか?

と、身振りで声をかけられます

塀を潜ると

すぐに

北の神武門

出ると正面に青瓦台と、北岳(ブガク)だって‼️

 

少なめたった人が、わっと増えます。

観光バスも沢山

午前中なら外国人は予約なし。パスボートのみで入れる

と。聞いていましたが

1時過ぎなのに

オッケーでした、

内覧は有料ですが、ぐるりと一週

ついでに架設(一般開放されたばかりだもの)

トイレにまて回ってきましたよー

 

観光バスなら、ここで拾ってくれるのだろうけど、

ここからきたみちをまた戻るのが

かなりきつかった、

健脚なら。反対側も。みてこれるのだろうけど。

天気予報は

10月末とおおはすれの、13~15℃

半袖の人も出るくらい、

汗だくになり。脚もぼう。

疲れすぎかお腹ゴロゴロ

光化門通りから、市庁舎

行けたらロッテホテルから、ミリオレホテルまて

 

なんて予定が丸くすれ

どこから帰ろうか等と

長い休憩をとってしらべていて、

帰りかけたら

あれれ、

閲兵交代式の。太鼓のおとが~

人混みの後ろで。撮影もかすれなかった、

光化門の外では、

閲兵記念撮影会

 

並んだら

すげなく

タイムアウト」と、引き戻されてしまったわ、

それでも脇の閲兵とはではしっかりツウショツトしていると、やはり注意されてた、

まっすくか光化門通り

銅像も見えます、

景福宮駅から

来たルートを戻りました、

 

とにもかくも、

汗だくバスタブはって

脚を揉みもみ、みず℃、薬を飲んで

一寝入り。

 

体にはお粥がいいかなと、5し過ぎて掛けたら、

お粥の店は。五時で終了でした。

で。近いところの屋台をうろうろ

明洞ギョウザ3000ウォン

焼き鳥5000ウォン

 

ソウルのシンボル

南山タワーが、ライトアップ

きようも24000歩

後期高齢者には。きつい❗

32年前は

景福宮の記憶はない。、

博物館の裏に巨大なたてものがたち、

広い広いだけの空き地たった。

博物館は壊し、これから作っていくのだと

 

景福宮は、建てられてから秀吉の文禄の役で、焼きおとされ、270年間。復旧されなかった。

1867年高宗によって再建、広大になったが、

日本の植民地時代、1915年90%以上が取り壊され

て、朝鮮総督府の建物となった、

以後

1990年より、復旧を始めた、

私の、最初の訪韓が、1991年なので。まさしくその頃。

 

30年で。まるで以前からそこにあったような

現在の姿は、まるで浦島太郎現象の気がする。